3 仕事 
 
 周防と、二人のデカ物と共にエレベーターで、最上階へとやってきた。薬臭い廊下を歩き、一つの病室のドアの前へとやってきた。デカ物の一人がドアを開ける。周防が俺に手のひらを見せ、先に入るように促した。 さて、ご対面だ。
 室内は、俺がいた病室と広さは変わらない。しかし、様子はかなり違っている。あちこちに俺には分からない医療器具が置かれ、そこから伸びたチューブがベッドに伸びている。ベッドには、一人のご老体が横たわっていた。しわくちゃで小汚い赤ん坊みたいだ。鼻や、口、そして頭にもチューブが挿さっている。頭にはおまけに、頭蓋内スキャン用の小型CTがくっ付いている。確かに、現首相だ。名前は思いだせんが。
 「これが、俺の救いを待っている首相さんか。で?俺に何をしろと?」
 周防が、ベッドを周り首相の頭を指差して言った。
 「これを見ろ」
 俺は、首相の頭をの方を覗き込んだ。そこには、お馴染みの電脳ソケットがあった。
 「あはん」
 「首相は、来るサミットの為に、各種の外国語チップを試されていた。ところが、その中の一つを試された途端に、昏睡状態に陥られた。チップの中にウイルスが紛れ込んでいたのだ。ウイルスの性質などは不明だ。ただ、チップを抜くことは出来ない。抜いた途端にウイルスは、脳細胞を破壊してしまうらしい」
 「それで、俺にウイルスを始末しろというわけか」
 「全くいいタイミングに、素質を持った者が居合わせたものだよ」
 フム、状況は気に食わんが、仕事的には興味がある。なんと言っても、今の俺にはブーストアップされたお脳がある。相手が未知のウイルスだろうと、どうって事は無いって気が満ち満ちている。ウイルス屋の血が騒いできた、やってやろうじゃないか。
 「OK,やってみよう」俺は,陽気に言った。
 周防は,頷いて俺にケーブルを差し出した。
 俺は,ケーブルを受け取り片方の端子を前頭部のソケットにはめ込んだ。金属の端子は,なんの抵抗も無くしっかりとソケットに収まった。
 「こっちの準備はいいぜ」
 周防は,俺を首相の頭のほうにある背もたれ付の椅子に座らせ、首相の前頭部に見える電脳ソケットを指差した。
 「南無三」
 俺はつぶやいて、もう片方の端子を首相のソケットにはめ込んだ。
 
 光の波が見える。やがて、その波は一点に集中し、焦点が光の球となって爆発した。   
サイバーは,広大な空間に浮かんでいるのを感じた。宇宙空間に,素っ裸で放り出された感じだ。周りには,無数の光線が遥前方に伸びている。先程入り込んだ周防のパームコンピュータの時とは,全く違う印象だ。
 光の帯は,重なり合い,グリッドを形造っていく。その余りの細かさに,サイバーは目眩を覚えた。情報の流れが,一本一本の光線なのだ。とすれば,膨大な量のデータのやり取りだ。
 そりゃそうだ。今居るのは,人間の脳の中なんだぜ。サイバーは、気合を入れ改めて周りを見まわした。
 何処から探ってみるべきか。しかし,人間の脳と,コンピュータの回路では余りにも勝手が違った。落ち着け。サイバーは,自分に言い聞かせた。周防の言葉を思い出してみる。OK。この首相のお脳の中には,何等かのウイルスが居る。意識を失わせているが,呼吸はさせている。とすると,海馬付近に留まって,記憶を吸い取っているのかもしれない。だが用心だ。無理矢理チップを引き抜けないようにしているのだ。そこ等中に監視用プログラムをばら撒いているはずだ。
 サイバーは意識を集中し,フード付きのレインコートに身を包んだ。レインコートは,ゆらゆら揺れる虹色の模様を,表面に浮かばせている。やがて,表面は周囲の光を透過させ,透明になった。自衛隊が採用している,工学迷彩コートを意識したのだ。取り敢えず,最低限の防護プログラムを纏う事にする。
 改めて,周囲を見まわしてみる。グリッドが,ちかちかと瞬きながら前方に集中している。集中している先は,さながら銀河中心部のような輝きだ。サイバーは,手近な光線に沿って,そこを目指して移動した。光線に近付いてみると,光は一定の間隔で瞬いていた。一直線の心電図のようだ。直に,そんな考えを追い払う。電脳ダイブ中に,フラットライナーなんて,縁起でもないぜ。
 その時,後頭部にちくちくとした視線を感じた。はっとして,サイバーは動きを止め,後ろを振り向いた。目の前30cmの所に,黒い不恰好な球体が浮かんでいた。リンゴ程の球体に,カメラのレンズが5・6個ごてごてと付いている。それは,目の前でゆらゆらと揺れながら,サイバーを見つめている様に見える。
 サイバーは,身動きしなかった。自分の造った防御プログラムを信じた。
 レンズボールは、暫く同じ動作を繰り返していたが、やがて前方の光の帯へと合流した。
 サイバーは,ほっと胸を撫で下ろした。と、思ったのも束の間,直ぐに臨戦体制を取る羽目になった。 振り返った目の前全体に,無数のレンズボールが漂っていた。一瞬,思考が止まり掛けたが,直ぐにシャンとして、目の前の相手をよく観察する。レンズどもは,サイバーの周囲を漂っているが,統制がとれていない様だ。しきりに,サイバーの周囲を囲んでいるが,何も見えていない様だ。
 チャンスだ。敵の数は多いが,完璧にこちらをロスト(失索)している。不意を討てる分,こちらの有利だ。そう見たサイバーは,素早く行動に移った。プログラムをイメージする。次の瞬間,辺りに無数の工学迷彩コートを跳ね除け,姿を曝したサイバーが現れた。それらは,それぞれが勝手な行動をし始める。レンズボールは,不意の襲撃に躊躇したようだ。それは,実際には数ナノ秒だったが,サイバーにはそれで十分だった。
 サイバーは,手近な光線に自身を溶け込ませ,光速の波となり銀河中心部、すなわち脳の中心部へと流れていった。同時に後方,今では遥か銀河の彼方に見えるが、そこではレンズボールと,サイバーの分身とが,激しい戦いを展開していた。
 レンズボールは、表面をアメーバ状にし,サイバーの分身達を包み込み,閉じ込めて消化し始めた。  それは、白血球が,体内に進入したウイルスを捕食する行為そのものだった。
 サイバーは,そんな光景を他所に脳の中心部へと辿り着いた。正確には,最初に当りをつけた海馬付近へとやって来た。海馬は,脳の中で記憶を司る場所とされている。ここに居るウイルスの目的は,テロなどと言う物ではなく,純粋に情報にあると思ったのだ。はたして,全くその通りであった。
 自分が,胃カメラと共に胃の中へとやって来たような光景が広がっている。辺りは,蠕動する肉壁が広がり,壁からは粘性のある液体が滴っている。壁には,其処等中に地雷のような物が埋っている。よく目を凝らせば,それら一つ一つが,肉壁の中を通っている青やら赤のリード線で繋がっているのが分かる。
 サイバーは,工学迷彩コートのフードを跳ね上げ、それらを見ながら考えた。これが,哀れな首相の脳内データを,せっせと吸い取っていると言う訳だ。思った通りだが,やっと尖兵を見つけただけだ。こいつ等を操って居る奴が,何処かに居るはずだ。そいつを見つけない限りは,一件落着とはいかない。
 サイバーは,手近なコードを目で辿って行った。それは,遥か頭上へと伸びていた。それを辿って行く。肉隗の中を進み,やがて巨大な壁にぶつかる。壁は,頭上に見渡す限り続いており,彼方は湾曲して視界の下へと潜り込んでいる。周囲では,輝く粒子が,その壁へと足元から立ち昇っている。さながら,無数のホタルが乱舞する平原に立っている様だ。実際は,そんなにロマンチックな物ではない。身体の表面が,ちりちりと痺れる感覚がある。素っ裸で、炭酸水のプールに突っ込まれた感じだ。その感覚からサイバーは,この光の粒子が脳内のデータである事に気付いた。ここは,大脳皮質と頭蓋骨の境界だ。
 サイバーは,ジャックインする前の首相の様子を思い返した。首相の頭には,脳波をスキャンするCTが取り付けられていた。考えたものだ。脳内スキャンデータと一緒に,情報を外部へ吸い出しているのだ。奴サンは,CTの制御コンピュータ内に居るわけだ。
 さて,如何したものか。このままデータと共に,奴サンの所へ乗り込んで行くべきか?
 いや,やっている事は判ったが,目的が判らない。こっちは,首相の脳細胞を,人質に取られている。慎重に行動すべきだ。
 サイバーは,暫く考えて,プログラムを組んだ。それは,サイバーの体表から黄金色の染みとなって辺りに漂い出て暫く漂った後,周囲を回転し始め,やがて掻き消えた。サイバーは,プログラムの出来に満足すると,自らを光の粒子に換え,その場から消えた。
 サイバーのプログラムは,脳内に隈なく染み渡り,テロリストのプログラムが脳内データを吸収するのを阻害し始めた。あちこちで,レンズボールが右往左往し始めた。明らかに敵は、突然の襲撃に焦っている。
 サイバーは、そんな様子をCT読取装置のプログラム内で眺めていた。さて,どう出る?動きがあった。サイバーの周囲で,尋常ではない数の電光が閃き出した。凄まじい光で,目を開けていられない。探ってやがる。いや…見当も付けず探りを入れているだけだ。
 かかったな!サイバーは,電光が発信された場所を逆探知した。意識がテロリストの元へと加速し、飛んでいく。





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