4 対決
 
 辺りは,グリッドの立方体が果てしなく続いている。やがて,前方に輝く輝点が見えてきた。そこから,電光が四方八方へ迸っている。間抜けな奴だ。自分の居場所を態々教えてやがる。サイバーは,新たなプログラムをイメージした。全身が,レザーで覆われる。電光を弾くプログラムだ。そのまま,電光の中心に向かって飛び込んでいく。電光が,身体の表面で弾かれ凄まじい音と,光を発生させる。それに気圧されることなく,サイバーは電光の発生源へとやって来た。それを見下ろす。暫く動きが止まる。
 凄まじい生命体が,眼下に居座っていた。少なくとも,サイバーにとっては悪夢その物だった。サイバーは,いわゆる「デブ」を嫌悪している。体質で「肥っている」とは違う「デブ」が嫌いなのである。「デブ」は,自己管理が出来ていないダメ人間に見えるのだ。そんな人間を見るのが絶えられない。
 そんなサイバーの眼下に,恐ろしく巨大な肉隗が,横たわっている。表面は,ギラギラ光る粘膜に覆われ,それが一定のリズムで,上下に蠢いている。よく見ると,全体的に人の外観を残している。恐ろしくブヨブヨ肥った人間の胎児だ。それが呼吸しているのだ。そして,呼気と共に体表から,凄まじい電光を発しているのだ。その胎児の、ゼラチン状にてらてらと光る後頭部が見えている。
 やってやる!サイバーは,慎重にプログラムをイメージした。サイバーの身体が仄かに青白く光り身体を縁取る。その時,胎児が振り向いた。眠たげな眼がサイバーを見上げる。サイバーを認めると,その目が大きく見開かれる。その目は澱み,何処を見ているのかすぐには判別できない。サイバーは,自分の中でイメージしたプログラムを実行しようとした。出来なかった。その前に,胎児が口を開いた。
 「ナニモノダ?」
 胎児が喋る様は何とも不気味なものがある。声は、所々金属的な響きがあり,サイバーは思わず首を竦めた。
 暫く間があった。やがて,胎児が身体をサイバーの方へ向けようと、身体を捻った。
 「動くな,クソッタレ」冷やかにサイバーは言った。
 意外だ。相手はてっきりプログラムだと思っていたから,話し掛けられるとは思わなかったのだ。しかし,だとすれば,こんな所に居るのは,何処の間抜け野朗だ?サイバーは,束の間相手を凝視する。胎児は,炎を噴き出しそうな目で,睨み返してくる。
 「お前こそ何者だ?自分から檻に閉篭って,しこしこデータ集めとは,まともな頭の奴のする事じゃないぜ。だろ?」
 胎児は,ゴロゴロと不快な音を咽喉から発して応えた。
 「ワタシハ,マトモナニンゲンデハナイト、ジカクシテイル」
 ああ、そうだろうぜ。まともじゃないのは分かっている。ただ、並みのまともの無さじゃないから聞いたんだよ。サイバーは、思いながらプログラムを走らせた。
 青白いグリッドがサイバーの掌から放出され、檻となって降り注ぎ、胎児を閉じこめた。胎児は喚きながら抵抗したが、グリッドに流れる電流で適わなかった。それを見て、サイバーはサディスティックな笑みを唇に浮かべた。胎児はなおも喚きつづけたが、やがて悲鳴をあげ始めた。グリッドの檻が縮み始めたのだ。
 凄まじい電圧のニクロム線に、本場ドイツのハムの様に縛られ、胎児は絶叫した。
 「良い眺めだ。余りウマそうじゃないがな。ホレ、集めた情報諸とも細切れになりたくなかったら、目的を吐きな」
 サイバーの言葉を聞いても、胎児は暫く電気の檻の縮小に絶えていた。サイバーは、唇を歪めながらその様子を眺めていた。辺りに、肉の焦げる嫌な臭いが充満してきた。プラス、金属的な悲鳴だ。サイバーは、容赦無く檻を縮めて行った。悲鳴は、辺りの空間を歪ませるほどにまで上がった。
 「おい、程々にしねーと立ち直れなくなるぜ。お前の本体が何処に居るか知らねーが、今吐けば、少しの間精神病院へ 入るだけで済むんだぜ」
 サイバーの言葉に、胎児は悲鳴で答えた。
 「出来ない努力はするな。見ていてムカっ腹が立つぜ。お前は、ウェブスパイダーを気取ってる様だが、本体は端末の前でピザを食いながら、千擦りこいてるオタク野郎だ。そんな奴が、やせ我慢してる姿を、俺はこれ以上見たくないんだ。とっとと吐け!」そう言って更に檻を縮める。
 胎児の表面から煙が上り、いやらしい液体が溢れ出し、辺りに肉の焦げる臭いが漂いだした。サイバーは、顔をしかめながら、サイバースペースで、臭いが感じられる事に驚き、今奴は、神経細胞を焼かれていると感じた。
 「止めてくれ!喋る!知ってる事は、全部喋る!だから、止めてくれ!」胎児は、懇願した。金属的な声の演出も止め、地声で話し始めた。
 サイバーは、檻に流していた電流を止めた。煙を上げる胎児の体が見える。その表面は、網目状に焦げ、究極のゲテモノ網焼きを連想させた。
 「よし、では早速頼む。俺は、同じ事を繰り返すのは、ウンザリだ。このチャンスに、全部話せ。OK?」
 胎児は、弱々しく頷いた。が、次の瞬間、金属的な笑い声を上げ始めた。
 「コノ、ドアホガァ。オレハ、シュショウノノウサイボウヲ、ヤキキルコトガデキルンダゾ!ソウサレタクナケレバ、オレヲジユウニシロ!」
 胎児は、首を掻き切るポーズを取った。サイバーは、首を傾げる。そのポーズに、何の意味があるというのだ?そのポーズにサイバーは、肩を竦めて答えた。
 「OK.OK.やれるもんならやってみろ。お前のプログラムが、首相のドたま頭を黒焦げにするのが先か、俺のが、お前のを消炭に変えるのが先か、やってみるか?え?」
 サイバーの両手から、青白い光が弾けた。F1レースの、スタート前のような爆音付だ。おまけに、身体の縁を覆っていたオーラを、放射状に迸らせる。実際、サイバーは、西部劇の、早撃ち決闘シーンのガンマンになった心境だった。指を腰のホルスター付近で、ぴくぴくと痙攣させている、あれだ。
 胎児は、脂汗を、滴らせていた。明らかに動揺している。その姿を見て、サイバーは更に言った。
 「お前に勝ち目はねーぜ。この電脳世界の法則だ。0か1、有るか、無いかだ。お前の勝ちは、無い」
 胎児は、じっと頭上のサイバーを見つめている。網目状の焼き後を付けた、巨大胎児に見つめられるのは、化粧をしたトカゲに、見つめられているような、違和感がある。やがて、胎児は観念して喋り出した。
 「彼女の為さ。こうすると、彼女が喜んでくれるから、やっているんだ」
 彼女だと?金を貢がせる女なら、腐るほどいるし、その中の、何人かに騙されもした。だが、脳内データを貢がせる女とは、どういう女だ?そいつも、ウェブスパイダーなのだろうか?そういった事を、胎児に聞いた。
 「彼女は、ウェブスパイダーじゃない。それどころか、生身の人間でもない。彼女は、ヴァーチャルアイドルなんだ。名前は、"沢田 真樹"」
 あはん。こいつは、本物のオタクだ。しかも、性質の悪い宗教にはまってやがる。
 「よぉし、分かった。お前は、その何とかって言うアイドルに、頼まれてただけだと。しかし、せっかく集めたデータを、どうやってそいつに届けるつもりだ?CT読取装置は、何所にも繋がってないんだぜ」
 胎児は、黙り込んだ。口と共に、身体の動きもピタリと止まった。またしても、脂汗を滴らせ始めた。その汗が、足元に水溜りを作り出していた。サイバーは、ウンザリして指の関節を鳴らし始めた。
 「いいかげんにしろ。2度目は無いぜ」
 サイバーは、今すぐ胎児を、黒焦げにしたい気持ちを、なんとか堪えて言った。胎児は、ちらちらと、上目遣いにサイバーを見ながら、喋り始めた。
 「このまま僕が、脳内データを採り続けたら、どうなると思う?当然、この人物は、植物状態になる。その後は…?」
 そこまで聞いて、サイバーは気が付いた。そうか、当然、そうなった原因が突き止められる。直に分かる、チップだと。そして、チップは、解析される。何かにしろ、ネットワークに繋がったコンピュータで。今の世の中、LANですらその意味を失って、何所の、誰の端末でも、WWWに繋がっている。このチップの檻から出れば、ハッカーならば、何所へ行くのも自由自在だ。
 「成る程ね…そう来たか。その、アイドルは、ただの電脳オタクじゃないってわけだ。で?彼女は、何をしようってんだ?ただの、コレクションにしては、趣味が悪いぜ」
 胎児は、喋ろうとして、声を詰まらせた。激しく咳き込み始める。サイバーは、肩眉を上げた。
 「おい!下手な演技してんじゃねー、2度目は無いって言っただろ」
 そう言って、電流は流さず、檻を縮めた。だが、胎児は咳を止めなかった。むしろ、檻を縮められた事により、身体を折り込まなければならず、自分の身体で、窒息しそうな有様だった。その様子で、サイバーも異変に気付いた。檻を広げてみるが、胎児の様子は変わらなかった。
 「おい!」
 サイバーは、巨大な胎児に近付いた。胎児は、眼を飛び出させ、首を押さえて苦しんでいる。明らかに、窒息しかけている。見ている間に、胎児は涎を垂らし、足を痙攣させて、動かなくなった。
 「くそっ!」サイバーは、毒づいた。辺りを見回す。誰かから、攻撃された様子は無い。そもそも、そんなことが出来るはずが無い。と、すると、やつに、何等かのプログラム、即ちウイルスが、着いていたのか?恐らくそうだろう。特定のキーワードで作動するヤツだ。クソッ!迂闊だった。これも、何とかと言う、ヴァーチャルアイドルの仕業か。
 胎児の体は、徐々に分解されていった。氷が溶ける映像を、早回しで見ている様だ。御丁寧に、証拠も残さないと言うわけか。
 まぁ、仕方ないさ。俺の方は、CT読取装置のデータを、あのじーさまのおつむに転送すりゃあ、それで終わりだ。それで元に戻る保証は無いが、知ったことか!こっちの仕事はやり遂げたんだ。
 サイバーは、実行し、自分の頭のケーブルを、引き抜いた。


 目が眩んでいる。俺は、数回瞬きをして、目の焦点を合わせた。しわくちゃのじーさまが見えた。溜息をつく。
 「どれ位居たんだ?」正面のじーさまを見たまま、そばに居る筈の周防に聞いた。
 「10分程だ。それで?」
 全く、電脳世界の時間の流れには、ウンザリする。しかし、前回の時は心地良い余韻があったが、今回は無しだ。二日酔いのような、ムカツキが有るだけだ。おれは、ポケットから、副交感神経遮断チップを取りだし、頭に挿した。ムカツキが治まる。
 「まあ、一応やれる事は、やった。ウイルスはもう居ない。これからどうなるか、それは俺には分からない。後は、あのイカレタお医者に頼むんだな」
 「誰がやったか分かるか?」周防は身を乗り出し聞いてきた。
 俺は肩をすくめた。「さてな。結構しんどいウイルスだったから、誰か?までは構ってられなかったな」
 胎児については話さない事にした。ちょっとした仕返しだ。ざまあみろだ。それに、あんなウイルスの使い手は、個人的に興味がある。刑事ならこう言うだろうぜ。「これは、俺の事件(やま)だ」
 周防は暫く首相の様子と、俺を見比べてから言った。「よくやった」そして、デカ物の片方に頷いた。デカ物は、懐から分厚い封筒を取り出し、俺に放り投げた。周防が言う。
 「今回の報酬だ。初仕事という事で、多少のご祝儀もあるがな」
 俺は、封筒を開けた。たまげた。中には、壱百円札の束が3つ入っていた。こんな大金、今まで見たことも無い。1年は、遊んで暮らせるぜ。しかし、落ち着け…俺は、周防に向き直って一言一言区切りながら言った。
 「最後の確認だ。俺に、選択の、余地は、無いんだな?」
 「そうだ」
 あっさり言ってくれるぜ。もう決りだ。俺は、ブーストアップされた脳と引き換えに、政府に売られたんだ。俺は手元の札束を見詰めた。なんてこった。この俺が、政府の役人とはね…
 ハッカーと言う人種は、大物小物を問わず、巨大組織とは、無縁、もしくは、敵対する存在だ。俺のような、ウイルス屋ならば尚更だ。巨大組織に、己の技術一つで立ち向かって行く。これは、前世紀から変わらないハッカーのプライドだ。勿論、その技術を、組織の為に使うやつらも居るが、彼等は、無理矢理脳を改造されちゃいない。俺が、言いたいのは、其処の所だ。だが、もういい。腹を括る時だ。
 「OK。こいつは貰っとく。良いパートナーになれるといいがな」
 「そう願おう」
 俺は、立ち上がって、病室を出ようとした。ノブに手を掛けた所で、周防が言った。
 「電脳ソフトについて、分からない事があったら、Dr中本に聞き給え。それから、王は、今から君の部下だ。好きに使って構わないが、無茶はするな。今日は、ご苦労だった」
 俺は、振り向かず、片手を上げただけで、病室を出た。冷たく、暗い廊下が出迎えてくれた。




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