6 チェイス
タクシーは、ダウンタウン方面へと走り、途中のジーンズショップで一旦止まった。何しろ俺は病院のガウン姿だったから、先ず、まともなカッコに戻したかった。俺は、タクシーの運チャンに報酬でもらった壱百円札を渡し、しばらく待っている様に言った。運チャンは、眼を丸くしていた。そりゃそうだ、恐らく1週間以上の売上だろう。二つ返事で了解してくれた。
立ち寄ったのは、意味も無く24時間やっている若者向けのジーンズショップだった。店員は赤いモヒカンのアンちゃんで、こんな姿の俺を見ても無関心だった。適当なサイズのジーパンとジージャンを選び、値札を付けたままそれを着込んでカウンターへ行った。
「カード?」モヒカンが横柄に言った。
「いや現金だ」俺は、壱百円札の束から一枚引き抜き渡した。モヒカンが嫌そうな顔をした。
「おい、細かいの無いの?釣り銭が大変なんだけど」
「釣りはいい。代わりに店にある端末を使わせてくれ」
モヒカンは一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに頷きカウンターの奥に顎をしゃくった。見ると奥は事務所になっている様だった。俺はカウンターを潜ってその部屋に向かった。
「長距離はお断りだぜ」
「分かってる。ありがとよ」
ふん!長距離とはね。電話とは違うが、こういった言い回しは好きだ。俺は、事務所のドアを開けた。薄汚れた事務机に、ロッカーがあるだけの狭い部屋だった。机の上に一時代前のコンピュータが、ヤニにまみれ茶色く変色したボディーを乗せていた。どうせ表計算位にしか使用されていないのだろう、これでも勿体無い位だ。
早速立ち上げ、適当なアクセスポイントへ跳び、"ジャンキーカフェ"に入った。ジャンキーカフェは、俺たちハッカーの電脳世界(むこう)での溜まり場の一つで、情報交換やら、割に合わない仕事やら、引き抜きやら、まあ、楽しい事が行われてる所だ。カフェには、いつものメンバーがたむろっている様だった。俺は素早くキーボードを叩き、ある人物を呼び出した。
「シーナ、居るんだろ?あんたの王子様だぜ」
「ハイ!サイバー。しばらくじゃない、如何してたのさ?」
「ちょいと出張してたのさ。今お前のお膝元に居るんだぜ」
「わぁお!本気で?何処よ?」
「静岡市内の24時間営業のジーンズショップだ。待て、今アクセスポイントのデータを送る。そこから逆探知してくれ」
「必要ないわ。ボーイハットって店でしょ、ホント近くじゃん」
「話が早い。どうだ、今から会わないか?お前好みの俺様にイメチェンしたんだ。惚れなおすぜ」
「あはん。OK.OK.そうね、15分で行くわ。チャオ!」
やれやれ。俺は、端末の電源を切り息をついた。モヒカンに礼を言って店を出た。霧雨は、まだ振り続いていた。向いの通りでタクシーはまだ俺を待っていた。俺は、タクシーに近付き後部座席のドアを開けて乗り込んだ。
「お客さん、偉く羽振りが良い様だけど、気を付けた方が良いよ。お客さんをつけてる奴が居るみたいだ。後のバンに乗ってる奴が、お客さんが店に入ってからずっと見張ってたよ」
「あはん」俺は、シートにもたれる振りをして、サイドミラーから後を見た。黒塗りのバンが、50メートル程後ろに付けていた。霧雨で中の様子は覗えないが、運転席と助手席に人影が見止められた。誰だ?王かもしれない。どっちにしろ今は付き合ってはいられない。
「運チャン。これから連れが来て合流するんだが、後の連中を巻けるかい?」
「揉め事ですかい?面白い展開ですなぁ。」運チャンは、バックミラーを見てくすくす笑いながら言った。「まぁ、巻けるでしょうよ。お客さんにはたっぷりサービスしないとね。でも用心に越した事は無いな」
そう言いながら、運チャンは後頭部に手を伸ばし、内蔵されていたケーブルを引き出した。ケーブルが釣り糸を巻き上げるような音を出し、ダッシュボード下の接続口に挿し込まれた。そして目を瞑り、何やら考え込み出した。舟を漕ぎ始めた様に見えたので、肩を揺すろうとした時に運チャンは目を開いた。
「心配無用。タクシー仲間と連絡を取り合っていたんです。無線は傍受されてるかもしれないので、電脳空間を通していたんです。いざとなったら仲間が助けてくれます。お望みの所へお連れしますよ」
「無線ネットワークか、成る程。助かるよ」俺がそう言うと、運チャンは照れ隠しに頬を掻いた。
さて、後はシーナの到着を待つだけだ。シートに頭をもたせ、通りを眺めながら待っていると、向かいのビルの屋上にあるウォールビジョンが目にとまった。内臓をぶちまけた人間が映し出されている。テロップは、"またしても娼婦惨殺!前世紀の切り裂き魔の復活?"とある。やれやれ。あいも変わらず世間の人間はショッキングなニュースが好物と見える。こんな事、今の時代にゃ日常茶飯事、もうとっくに前世紀は終わりを告げてるってのに。
俺は視線を下ろした。通りの向いからウインドブレーカーを羽織り、背負い式のキャリーバッグを背負った少女がローラーブレードで走って来るのが見えた。シーナだ。俺はウインドウを下げ、手を振った。「シーナ!」シーナは、一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐにタクシーの方へ来た。俺はドアを開け、シーナを引っ張り込んだ。
「ちょっ、ちょっとサイバー、随分強引じゃん!」相変わらずのアニメ声でシーナは抗議した。
「すまんな、詳しく話してる隙は無いんだ」
「なんだってのさ。あれ?サイバー、あんたそのオツム…」
「時間が無いって言ったろ。詳しくは落ち着いてからだ。何処か良い所は無いか?なるべく人の多い所がいい」俺は、シーナを引き剥がしながら言った。
「そうね、"神代"なんかいいかもね」
「OK。運チャン、頼むよ」
「まかせときぃ!」
タクシーは、ロケットエンジンよろしく猛スタートで通りを駆け抜けた。後ろを振り向くと、バンが咳き込みながら付いて来るのが眼の端に見えた。運チャンは、さらにアクセルを踏み込み加速した。俺は、隣に居てしつこく質問して来るシーナにウンザリしながら、早く目的地に着く事を祈った。
走り始めてすぐに、バンが追いついて来た。向こうもこっちに負けず劣らずのエンジンを積んでるらしい。道は混んではいなかったが、霧雨が降り続いて道路状態は最悪だ。バンは追い越し斜線に入り、追い越しざまに体当たりを食らわして来た。衝撃でシーナが俺に覆い被さってくる。運チャンは必死でハンドルを切るが、タクシーは激しくガードレールに車体を擦りつけ、派手に火花を散らした。サイドミラーが吹き飛んで、後方へスッ飛んで行く。割れたミラーに自分の姿が映り、何対もの眼が俺を見詰め返しながらバラバラになっていった。
運チャンがバンに体当たりを仕返し、今度は相手のバンがビリヤードの球よろしく反対車線に飛び出して行った。が、相手の方が運転技術は上の様だ。すぐに切り返し、ぴたりとサイドに寄せ、もう一度体当たりを食らわして来た。くそったれ!一体全体誰が俺を狙ってるんだ。そもそも、俺が何をしたってんだよ。
とりあえず追っ手を確認するため、俺は覆い被さって喚いているシーナを引き剥がし、もう一度体当たりを食らわそうとしているバンの運転席を見ようと顔を上げた。と、鋭い衝撃音と共にガラスが割れ、風を切る音と霧雨が吹き込んできた。咄嗟にシーナを庇い、シートの下に身を伏せた。運チャンが何か喚いているが、吹き込む風の音にかき消されよく聞き取れない。
銃だ。しかも弾丸式の時代物かよ!くそったれ!何だって俺がこんな目に会わなきゃならないんだ。その時、運チャンが急ブレーキをかけて車を反転させ、強引に反対車線へ割り込んでそのまま今来た方角へ逆走し始めた。バンも少ししてから同様に追って来る。
「お客さん、少し回り道するから到着は遅れるよ!」
このとぼけたセリフに俺は思わず苦笑した。もともと時間指定などしてないぜ。
「OK。兎に角奴らを巻いてくれ!」
風音に負けない様に叫ぶと、おれは後ろを振り返った。バンは目の前に迫っていた。運転席を注意して見ると、やはり乗っているのは二人の男の様だ。二人とも、黒の帽子に黒のジャケット、下は分からないが全身黒ずくめだろう。前世紀の古風なマフィアの様だ。ご丁寧にサングラスを架けていて表情は全く分からない。助手席の男が車内から身を乗り出し、拳銃をこちらに向けてきた。リボルバー式の古風だが大型の拳銃だ。男が発砲するのと同時に、運チャンがハンドルを切ったおかげで狙いは反れた。タクシーはそのまま車一台がやっと通れる位の狭い路地に入り、道路脇のゴミやらダンボールハウスやらを跳ね飛ばしながら疾走した。バンは車幅が有る為、苦労している様だ。両脇から激しく火花を散しつつ追って来る。
少し距離が空いた所で俺は前を向いて絶句した。運チャンが、目を閉じてヘッドレストに頭を預け寝ていやがる!いや、少なくともそう見えた。よもや、流れ弾が当ったのかと要らぬ心配をしかけたが、すぐに思い直した。運チャンが目を瞑ったまま声をかけてきた。
「心配御無用、仲間と連絡を取っていたんです。もうしばらくの辛抱ですよ」
成る程、さっきの電脳無線か。俺は安堵し、シーナを見た。
「大丈夫か?」
「ふざけんじゃないわよ!一体何なのさ!サイバー、あんた何やらかしたの?」
「落ち着け!俺にも分からん。俺は何もやってない、逆にやられた方なんだぜ」
「ワケわかんない事言わないで!大体…」
銃声が轟き、後ろのガラスが吹き飛んだ。二人揃って伏せ、降り注ぐガラスから身を庇う。クソッ!
「運チャン!助けはまだか?」屈んだまま叫ぶと、また銃声が聞こえた。だが、今回は遠く聞こえる。バンが後方に撃ったのだ。恐る恐る割れたガラス越しに後を見ると、バンの後にもう一台のタクシーが見え、バンを後から小突いている。いいぞ!騎兵隊の登場だ。
そんな状態のまま、タクシーは路地を飛び出し、駅前のメインストリートに飛び出した。途端にクラクションの洪水に鼓膜が襲われた。シーナも何か叫んでいる様だが、それ所じゃない。メインストリートは、車で溢れていた。運チャンは通行人を物ともしない無謀運転で、他の車を蹴散らし、駅の方角へと疾走している様だ。あたりは、人と車の吐き出す怒号に包まれている。バンはどうなったかと後ろを振り返ると、目の前に漆黒の車体が迫ってきていた。助手席の男が、後ろのタクシーに向け発砲した。銃弾を浴びたタクシーは、ボンネットを吹き飛ばしながら商店に突っ込み横転した。何人かの通行人が巻き込まれ、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散す様に逃げ惑っていく。その時、運チャンが急ブレーキをかけ、俺とシーナは前方に投げ出された。バンもつられて急ブレーキをかけるが、車体が横滑りをしだし、横っ面を見せながら俺達に迫ってきた。運チャンの方は、加速を始めバンを突き放しに掛かっていた。バンは横転し、駅前の噴水に激突し、それを粉々に砕いた。たしか、静岡独立記念の噴水だ。だが、そんな事はどうでもいい。
タクシーはそのまま駅前のロータリーで加速し、バンを引き離していく。俺は、息を吐き罵声を浴びせ続けているシーナを引き剥がした。運チャンが、振り向いてウインクした。
やれやれだ…
タクシーは、バンをうまく巻いて目的地に着いた。結構なカースタントを繰り広げたが、どうやら無事だ。バンの奴らの正体は見当もつかなかった。
「またのご利用お待ちしてます!」俺達が降りると、運チャンがそう言って豪快に笑った。
「ああ、また頼む」俺が言いながらドアを小突くと、タクシーは走り去った。
「で?一体どうしたってのさ?」
タクシーが視界から消えると、シーナが切り出した。俺は、無視して場所を確認した。俺達が着いたのは、"神代"という全国展開している居酒屋だった。江戸時代の酒蔵をイメージした店構えだが、デザイナーがヨーロッパ人という事でいささかずれている様に感じる。
「さて、とりあえず落ち着こうや」俺は、ガラスで出来た馬鹿でかい提灯に照らされた入り口のドアを開けた。シーナが黙って付いて来た。

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