7 シーナ
目の前に座っている女は、年の頃18か19歳に見える。見た目は若いが、俺のお袋(とっくに死んでるが)と同じ位生きている筈だ。彼女は体内にテロメア修復ナノロボット(エルフと呼ばれている)を飼っていて、数時間おきにナノロボットが、短くなったテロメアを修復して寿命を保っている。まぁ、不死と言う訳には流石にいかないが、かなりの寿命になるわけだ。
ショートカットの髪は鮮やかな赤に染められ、頭蓋骨にぴったりと張り付いている。遠目には少年に見えるだろう。吊り上がった目は、男を視線で殺しかねない小悪魔的な魅力を発散している。鼻は高く、正中腺を通っている。下唇が厚く、真中が縦に窪んでいるのが特徴だ。唇には紫のルージュが引かれている。レザーのジャケットに、ジーンズといったいでたちで、俺にじっと視線を投げつけている女は、"山本
史奈"(やまもと ふみな)名前を訓読みして、"シーナ"だ。
シーナは、店の奥にある座敷にあぐらをかき、出された"マグロ納豆"をつまみながら俺の話を聞いていたが、糸を引いている箸を俺に突き付けて言った。
「ファック!じゃあサイバー、あんた今や政府の手下だっての?」
「そうなるな」
俺は、太刀魚の塩焼きを解しながらさらりと言った。
「この、マザーファッカー!」
「おい!俺だって好きでなった訳じゃないぜ。お脳の中に高性能自殺執行機が、埋め込まれてんだ。少しは慰めてくれっての」
塩焼きを雪中梅で流し込んで、俺は溜息を吐いた。幸い店内は混んでいて、俺達の痴話喧嘩に気を留める奴は居ない。やれやれだ。さて、どうやって本題に入ったものか…シーナは相変わらず口汚く罵っているが、俺は無視して店内を見回した。
流石に全国展開しているだけあって、かなりの繁盛振りだ。客席は満杯で、俺達が居る座敷には会社帰りのサラリーマンがワンサカ居る。皆、温泉に入ったサルの様にくつろぎ、呑んだくれている。まだまだ日本は平和だ。奥の座敷では、さっきから盛り上がった一団がカラオケで、演歌をガナリ散らしている。頭にネクタイを巻いた、一人のとっつぁんがマイクを離さないらしい。それを、部下らしい若い細面の男が、押し留め様としていた。
「課長、もうその位にして…課長!」
そんな風景を見て、俺はまたもや溜息を吐いた。やれやれだ…
顔に飛沫が掛かったので驚いて振り返ると、シーナが箸を振って味噌汁の飛沫を俺に振り掛けながら喚いていた。
「話聞いてんの?この、ファック野郎!」
かなりお冠の様だ。俺は、飛沫をお絞りで拭いながらシーナに向き直って言った。
「行儀が悪いぞ。で?何なんだ?」
「だから、これからどうすんのさ?あたしに何かして欲しいんじゃないの?」
俺は、暫くシーナを見詰めた。そして、塩焼きを解しながら苦笑した。
「なにさ、何が可笑しいっての?」シーナが怪訝な顔で聞いてくる。怒った顔もキュートだぜ。
「まいった、何でもお見通しだな。さすがシーナだ」言いながら雪中梅をぐびりとやる。
「おだてても何も出ないかもよ」音を立てて納豆をすすりながらシーナが答える。「話を振っといてなんだけど、あんたの問題は問題じゃないね」
「何?」
「政府のヤツらに埋め込まれたって言う"ナノボット"さ!この脳タリン!あんた、それが自殺執行機だなんて気にしてるようだけど、要するに、お脳の配線を使って政府のデータにアクセスしなきゃ言い訳だろ?普通に手動でアクセスする分にはナノボットだって感知しないだろうさ。違う?」
シーナの一言に、俺は口元まで持ち上げたお猪口を持つ手を止めた。まいった。全く持ってシーナの言う通りだ。どうやら俺は、新しく授かった力に溺れかけていた様だ。情報ハイウェイを駆け巡るあの快感。マトリクス世界での無敵とも思える力。初心だった少年が始めて男になり、その快感に我を忘れ舞い上がっているのと同じ事だ。俺は雪中梅の残りを一気に飲み干し、お猪口を勢い良くテーブルに叩きつけた。

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